母の悲報①
2月7日AM4時30分頃僕の最愛なる母がこの世を去ってしまった。 2月5日に母は肝臓の状態が悪く、入院することになり、 たまたま僕は仕事ではなかったのですが、 サイパンの裁判が一応終わり、示談書にサインする為に、 その日交渉人の方と神戸で出会うことになった。 その日は約1年半サイパンのホテルと戦ってきて、 間に裁判所が入り、なんとか示談までこぎつけたお祝いで乾杯をした。...
View Article母の悲報②
家に帰って、夕食を終えてのんびりテレビを見ていると、 いつもは鳴らない兄からの電話が鳴っている。 少し嫌な予感がしたが、 心を落ち着かせて電話に出ると、 兄は息を荒くして、 「お母さんの様態が急変して、意識がなくなってきているって病院から電話があった。 今から病院に向かうから連絡取れる状態にしておいて。」 そういうと兄は電話を切り、 僕は気持が落ちづかずに、昼間の事を考えると、...
View Article母の悲報③
兄には朝一番の7:00発の飛行機でそちらに向かう事を告げて、 明日に備えて寝ることにした。 寝ようと思ってもなかなか眠れずに、 お母さんの様態が気になるのと同時に、 兄からの電話が鳴るのが怖かった。 2時ぐらい目を瞑り始めて、うとうととしようとしている時に、 僕の携帯電話が鳴り始めた。 目覚ましの音楽でなく、兄からの電話の音だった。 時間を見ると4時29分。...
View Article母の悲報④
伊丹空港に着き、 予約していたタクシーに乗り込み、 お母さんのいる場所までの車内は一言も話をせずに、 お母さんに出会うまで本当にかどうか信じられなかった。 30分ぐらいしてお寺に着くと、 すでにいとこのおばさんがいて、 皆寂しげな雰囲気になっていた。 僕はコートを脱ぎ、鞄をその辺に置き、 寺の奥の和室に寝ているお母さんに出会いに行った。 お母さんは眠っているように目を瞑っていて、...
View Article44.「なんでこんなに!?」
母の悲報,鮟颪い燭修瞭覆爾(画像のように) 訪問者数が2000人を超えていた。 こんな事は初めてで、 今までの最高は100人ぐらいだったのに、 2000人も急激に増えた。 これは誰かのブログに載せてもらったとか、 キーワードに嵌まったとか、何の原因か?? 不思議なこともありますね。 だれかこの理由を教えてください!!
View Article49日が終わって
7日7日お坊さんを実家に呼んで、 母が天国に行けるように祈り続けた。 2月から始まった悲劇があっという間に49日を過ぎてしまった。 時間は本当に経つのが早い。 仏壇も実家に納入され、黒塗りの位牌に魂が入り、 駆け抜けた49日も落ち着いた。 これから母の事を思い出す事もあるけど、 母の病気に勝とうという気持ちを受け継いで、 私も自分の体と向き合って生きていく。 そう母の仏壇に誓った。...
View Article2010年桜~千鳥ヶ淵
2010年初めてのお花見に行ってきました。久しぶりに暖かくていい天気だったので、半蔵門まで行ってきました。半蔵門なんてなかなか降りる駅ではないので、全く地理が分からずに、人の流れに乗って千鳥ヶ淵の方へ歩いて行きました。満開の桜が皇居の堀を囲むように咲いている。桜・緑・堀・ビル・国会議事堂と都会なのに、その中にポツンと癒しの場があり、何かパワースポットのように気が感じます。東京はビル・人・車とゴチャゴ...
View Article45.「不運(うん)な出来事」
週末にある電器店へ家電製品を見に行き、 本屋とかレンタルビデオ店など行っていると、 なぜかトイレに行きたくなる。それも大きい方が。。。 体の変化と引力には逆らえずに、 電器店の洋式トイレへ飛び込んだ。 そのトイレの床は少し濡れている感じで、 もっと言うとトイレの清掃をした後な感じだった。 それにしても水溜りが残っている。 それはさておき、僕とはとりあえず我慢していたので便器に座ることにした。...
View Article初めての法廷での争い
セスナ機の事故の旅行会社との裁判はもう9回目を迎えます。今までは相手方だけが東京地裁に訪れ、こちらは遠いので電話での裁判でした。今回来週の金曜日は、旅行会社の事故を担当した社員??が証人尋問を行うようです。陳述書が先に提出されましたが、事故の時に全くしていない事を並べて、後から後から付け加えていく。まさに後だしじゃんけん状態です。それにその証人尋問を受ける人って誰??って感じです。全く会ってもいない...
View Article復活!!
4月12日以来のブログ復活!! 今年に入って、母の死去、昇進により更なる仕事の忙しさなど 毎日毎日が忙しく家に帰ると何も考えずにボーってして、 早めに寝る日が続いた。 母の死去により、49日、初盆、納骨など色々な事があった。 日に日に母の死の悲しさも和らぎ、これから母の為に自分の人生の幸せへ歩き始めた。 なんとなく今はやっと自分のペースで生活が回り始めたので、 ブログを再開する事にしました。...
View Article母の悲報①
2月7日AM4時30分頃僕の最愛なる母がこの世を去ってしまった。 2月5日に母は肝臓の状態が悪く、入院することになり、 たまたま僕は仕事ではなかったのですが、 サイパンの裁判が一応終わり、示談書にサインする為に、 その日交渉人の方と神戸で出会うことになった。 その日は約1年半サイパンのホテルと戦ってきて、 間に裁判所が入り、なんとか示談までこぎつけたお祝いで乾杯をした。...
View Article母の悲報②
家に帰って、夕食を終えてのんびりテレビを見ていると、 いつもは鳴らない兄からの電話が鳴っている。 少し嫌な予感がしたが、 心を落ち着かせて電話に出ると、 兄は息を荒くして、 「お母さんの様態が急変して、意識がなくなってきているって病院から電話があった。 今から病院に向かうから連絡取れる状態にしておいて。」 そういうと兄は電話を切り、 僕は気持が落ちづかずに、昼間の事を考えると、...
View Article母の悲報③
兄には朝一番の7:00発の飛行機でそちらに向かう事を告げて、 明日に備えて寝ることにした。 寝ようと思ってもなかなか眠れずに、 お母さんの様態が気になるのと同時に、 兄からの電話が鳴るのが怖かった。 2時ぐらい目を瞑り始めて、うとうととしようとしている時に、 僕の携帯電話が鳴り始めた。 目覚ましの音楽でなく、兄からの電話の音だった。 時間を見ると4時29分。...
View Article母の悲報④
伊丹空港に着き、 予約していたタクシーに乗り込み、 お母さんのいる場所までの車内は一言も話をせずに、 お母さんに出会うまで本当にかどうか信じられなかった。 30分ぐらいしてお寺に着くと、 すでにいとこのおばさんがいて、 皆寂しげな雰囲気になっていた。 僕はコートを脱ぎ、鞄をその辺に置き、 寺の奥の和室に寝ているお母さんに出会いに行った。 お母さんは眠っているように目を瞑っていて、...
View Article44.「なんでこんなに!?」
母の悲報,鮟颪い燭修瞭覆爾(画像のように) 訪問者数が2000人を超えていた。 こんな事は初めてで、 今までの最高は100人ぐらいだったのに、 2000人も急激に増えた。 これは誰かのブログに載せてもらったとか、 キーワードに嵌まったとか、何の原因か?? 不思議なこともありますね。 だれかこの理由を教えてください!!
View Article49日が終わって
7日7日お坊さんを実家に呼んで、 母が天国に行けるように祈り続けた。 2月から始まった悲劇があっという間に49日を過ぎてしまった。 時間は本当に経つのが早い。 仏壇も実家に納入され、黒塗りの位牌に魂が入り、 駆け抜けた49日も落ち着いた。 これから母の事を思い出す事もあるけど、 母の病気に勝とうという気持ちを受け継いで、 私も自分の体と向き合って生きていく。 そう母の仏壇に誓った。...
View Article2010年桜~千鳥ヶ淵
2010年初めてのお花見に行ってきました。久しぶりに暖かくていい天気だったので、半蔵門まで行ってきました。半蔵門なんてなかなか降りる駅ではないので、全く地理が分からずに、人の流れに乗って千鳥ヶ淵の方へ歩いて行きました。満開の桜が皇居の堀を囲むように咲いている。桜・緑・堀・ビル・国会議事堂と都会なのに、その中にポツンと癒しの場があり、何かパワースポットのように気が感じます。東京はビル・人・車とゴチャゴ...
View Article45.「不運(うん)な出来事」
週末にある電器店へ家電製品を見に行き、 本屋とかレンタルビデオ店など行っていると、 なぜかトイレに行きたくなる。それも大きい方が。。。 体の変化と引力には逆らえずに、 電器店の洋式トイレへ飛び込んだ。 そのトイレの床は少し濡れている感じで、 もっと言うとトイレの清掃をした後な感じだった。 それにしても水溜りが残っている。 それはさておき、僕とはとりあえず我慢していたので便器に座ることにした。...
View Article初めての法廷での争い
セスナ機の事故の旅行会社との裁判はもう9回目を迎えます。今までは相手方だけが東京地裁に訪れ、こちらは遠いので電話での裁判でした。今回来週の金曜日は、旅行会社の事故を担当した社員??が証人尋問を行うようです。陳述書が先に提出されましたが、事故の時に全くしていない事を並べて、後から後から付け加えていく。まさに後だしじゃんけん状態です。それにその証人尋問を受ける人って誰??って感じです。全く会ってもいない...
View Article復活!!
4月12日以来のブログ復活!! 今年に入って、母の死去、昇進により更なる仕事の忙しさなど 毎日毎日が忙しく家に帰ると何も考えずにボーってして、 早めに寝る日が続いた。 母の死去により、49日、初盆、納骨など色々な事があった。 日に日に母の死の悲しさも和らぎ、これから母の為に自分の人生の幸せへ歩き始めた。 なんとなく今はやっと自分のペースで生活が回り始めたので、 ブログを再開する事にしました。...
View Article
More Pages to Explore .....